誰かに認められたい
「薔薇は美しくありたくて咲いているのではない。ただ咲きたいがために咲いているのだ。だからこそ美しいのだ。」
映画『ライムライト』より
20世紀を代表する喜劇王チャールズ・チャップリン扮する、かつて「イギリスで一番」と言われた落ち目の道化師(ピエロや大道芸人などが例)が、
ヒロインとの出会いを通して再起を図るストーリーである。
「誰かに認められたい」
誰もが多少なりとも抱いている感情だ。
そして、周りに認められるための手段、自分を表現する手段はいくらでも存在する。
時代を超えて存在する表現者と言えば、
役者、作家、芸人、芸術家、歌手などが上がる。政治家や宗教家もその類に入るかもしれない。
最近では、万人でもできる手っ取り早い手段として、SNSでの投稿だろう。
このブログもその手段の一つである。
ただ、時代が変わろうとツールが変わろうとも、時代を超えて人の心を打つのは、
表現者自身にどんなメッセージが込められているかではないだろうか。
「注目されたい」が先行した上で、
表現に奔る場合、一貫した信念が込められていない、軽薄なものになりがちだ。
手段が稚拙なものになり、社会的に誤った手段に奔る可能性がある。
一瞬世間を騒がせたとしても、理解されずに埋れてしまうだろう。
「伝えたい」から表現する。
と考えた人は自らの想いと信念を込めて表現する。無論多くの人に伝えるために、正当な手続きを踏んだ上で、共感を呼ぶメッセージを作るために試行錯誤を繰り返していくことになる。
集団や個人にかかわらず、
後者の立場で居続けられるか。